ダニーデン伝 5 羊の命と歯車システム

車内で羊に思いを馳せる

羊たちは、自分たちの決定的な運命などつゆ知らず、ただ黙々と、与えられた牧草地で食事をしている。

そして彼等の命の歯車は、衣類という形を通して、或いは食事という形を通して、人間の生命の一部として機能している。

単純な事実として、私はそのことを知っている。そして彼らはそれを知らない(ように見える)。

命の歯車

その関係を考えると、羊の生命の歯車と、人間の命の歯車は、精巧に作られた時計のように絡まりながら、回っている様子がイメージされた。

羊の命という小さな歯車が無数に並びあい、その営みそのものが、人間の命の歯車の一部として回っている。

人間の歯車は、羊を含む多くの動物の歯車を基にして成り立っている。そう考えると、彼等は私達の一部であると言っても過言ではない。

私にとって新しい発見であったのは、そこには「明確な区別」など存在しないほど、両者の関係が不可分であると思えた事であった。

羊と人間

「羊は羊」として命が回っているのではなく、「羊は人間の一部分」として回っている。

そう考えるならば、羊(ないしは他の動物)の集合体である人間の命というものは、果たして何の一部と位置付けられるのだろうか。

古い時代の絶対君主制を考えてみる。奴隷制度が一般的で、人間の序列が否応なしに明確であった時代ーー。

そこでは「働く人間」の歯車こそが、「支配側の人間」の一部であったという事が容易に想像できる。こき使われて働く人。そこから全てを搾取する人。

それは家畜との関係に見られる食物連鎖ではなく、間接的な労働という行為を介して、「支配側の人間」を支える一部として存在していたのだろう。

現代はどうか?

一見すると、特定の権力者や奴隷という身分は、絶滅したかのようにも見える。

しかし代わりに、我々を取り巻く経済の「システムそのもの」が、利潤を栄養素とする自己増殖を希求している。

複雑な歯車が世界規模で絡み合うそのシステムは、人間に高循環の経済活動を促している。

おそらく私は、そうした「システムそのもの」が持つ忙しない日々の中で、利潤を絞り出す歯車の一つとして動く事に対して、嫌気がさしていたのかもしれないーー。

日本を脱出することについては、事後的だけどそういう側面もあったのではなかろうか、と思った。

システムの存在を知ればこそ

しかしそれは、「システムそのもの」に対する認知があってこそ、初めて成立するのもである。

羊のように檻の中で生活をしている事に無頓着で居られるならば、そんな脱出は試みる必要がないはずである。

羊たちは、ただムシャムシャと草を食みながら、生活の歯車を回している。

それはそれで、平和で満ち足りている様にも見える。

万が一にも徒党を組んで、自由を求めるための革命運動などは起きそうにない。

知らない方が良かったという事が、この世界にはあると言うが、それは確かにそうかもしれないと思った。

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