ラオス見直す2 目指せ象さんマスター

会社員時代に長期休暇を取得してラオスに行った時の話。

朝のハーモニー

朝、鶏の合唱にて目を覚ます。しつこい位、互いの存在を確認し合うかの様に呼応を繰り返す。その他、多くの虫たちが奏でるハーモニーを聞きながらまどろむ時間が何とも言えず良かった。

都会人が忘れていた静寂
 静寂の中にある自然のノイズ
  ノイズの中にある虫たちの声
   声の中にある特有のリズム

それは心を落ち着かせてくれる。こういう類の音への耐性は、波の音と同様にDNAに刻まれているといるのだろう。

都会の騒音に人が癒しを感じるためには、あと何世紀が必要だろう。衆生が活動を始め、自分はその中の一部であると言う感覚を抱く。それを忘れていた感じがする。

外は小さな虫たちがあさっぱらから元気に活動を開始していて、私はそれらに心ならずも歓迎される。朝食の時間まで、好奇心の呼びかけに応じてホテルの周辺を散歩してみることにした。

ラオスの夏

アジア特有のむっとした感じはするけど、都会特有のじめっとした汚い空気ではない。寧ろ自然から搾り取った湿気である。

野良犬が怖いからあまり遠くまでは足を運ばなかったが、この街にはベトナムやタイで言うところの「うるささ」がないから好感が持てた。オーストラリアの田舎みたいな感じである。

宿泊先のホテルに戻ると、朝っぱらなのにホテルのお姉ちゃんたちがロビーの掃除をしていて、なかなかしっかりしているのだなと感じた。

ロビーの正面にある開けたオープンテラスで朝食を食べる。ツナのトーストは決してぜいたく品と呼べるモノではなかったが、しっかりトーストの味がしていたので満足だった。

朝食後は一旦すべての荷物を整理して、車のお出迎えを待つ。今日は30分くらい遅れたとしても心を乱すまいと思ったが、割に早く迎えが来た。

山奥へ

ルアンパバーンの空港を抜けて、更に山の奥へと走る。道路は途中から舗装されなくなり、砂利道を10分くらい走る。ゾウの村は、遠くから見てもそれとわかるくらいに「それっぽさ」があって、さっそく数等のゾウが目についた。

私はそこでツアーガイドと思しき現地人を紹介されて、英語にて説明を受ける。まずは1時間ゾウに乗って、それから講習的なものに入るらしい。

現地のゾウ使いの人に案内されて、ゾウに乗る。始めはタイで乗ったように、頭の後ろに備えた来客用の椅子みたいなものに揺られたが、途中で頭の方に乗せてもらった。

勿論それは自分にとって初めての経験だったので、最初は振り落とされまいかドキドキした。しかし徐々に安定した感じになれてみると、後ろの椅子に座っているよりも寧ろ楽であるということに気が付いた。

像に乗りながら

ゾウと直に肌を触れられる。後頭部と、耳の付け根、それから身を乗り出せば額に触れることができる。

各部位はそれぞれ硬さが異なっていて、容易に肉をつまめる部分と、非常に硬質な部位があるということに気が付いた。

首の付け根は可動域だから肉が柔らかいが、後頭部は拳骨を加えてもびくともしないくらいの硬さである。そしてごわごわとした、たわしのような毛が生えている。

うつぶせになってみると、額の奥から暖かさを感じるとともに、腹部に歩行の躍動を感じることができる。

一番ダイレクトに歩いていることを感じるのは自分の臀部で、一歩一歩の力強さを感じた。

のっし、のっしと、右から左に重心をゆっくり移動させている感覚を、自分のケツに感じる。

それはゾウの一歩がいかに重いのかということを自分の身体に教えてくれた。悠然と、そして大胆に、その歩を進めている。

園内を1周した後で

ご褒美にゾウに餌を与えた。バナナの木とバナナ、それから干し草を与えられている様であり、1日に250キロ/頭くらい消費するそうである。

私の他にも欧米人が数人訪れており、同じように背中に乗って散歩をしたり、或いは餌やりに興じたりしていた。

私は一旦バンガローに荷物を預けてから、指定の専用ユニフォーム(?)に着替え、教本に書いてあるゾウ指示語を一通り練習した。

指示語と言っても操る単語はほんの数語で、進めとか止まれとか、右とか左とかそういった基本的な動作を現地の言葉で発するだけである。

指示語の教本

再びゾウのロータリーに戻ると、また数名の観光客が先程と同じようなことをしていた。私はそれらの人たちの後を追うように、再びゾウに乗せられて、川遊びに興じた。

像と川遊び

川遊びは数等のゾウが編隊を組んで行進を行い、また現地のゾウ使いがそれを指示するという内容で、なかなか素晴らしかった。

ぞうはかわいい。餌をあげながら心底そう思った。ちょうど餌をとって口に運ぶまでの動作が、にこにこ笑っているようである。

水遊びをした後はランチということで一旦飯場に戻り、なかなか食べきれない量の食事を振る舞われた。

厨房は電気がないくらいに暗くてじめっとした感じの場所だったが、提供された料理はなかなかしっかりとした味付けであった。

食べきれなかったので、にゃあにゃあと側にやってきた子猫にチキンをあげて、飼いならすとはどう言うことかと考えた。

動物を飼いならす

ゾウを飼いならす。猫を飼いならす。

それは言わずもがな、その生命を保証するための食料を恒常的に提供する義務を背負うということだ。

そして一旦、例えば猫に餌をあげる関係が構築されてしまうと、猫は自己の責任において餌を探すという一義的な生存努力を放棄してしまうだろう。

にゃあにゃあと、人間に対する「ヘツライ」を行うことでしか、自分の生命を確保できなくなってしまう。

これは何も猫だけにとどまらず、例えば国の介護や制度にどっぷりつかりきってしまった人間に対しても同じことが言えるのではないだろうか。

しかし私が感じたのは、森の動物と同様に、一切の生物は「基本的に」自助努力において自己の生存条件を獲得すべきではないだろうかということである。

そういう意味では猫に餌をあげたことを少し後悔したが、まあ与えてしまったので後の祭りである。

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