ラオス見直す6 国家資格の免許皆伝!

森を見ながら

昼食時、相変わらず量の多い食事と奮闘しながら、森を眺めた。森という一種の循環機構がどうしてこれだけ長く、多様性を保ちながら全体として調和を保つことが可能なのかを考えてみる。

その活動に必要とされる要素は、外的要因として太陽の光と雨水であることは言うまでもないが、しかしそれを効率的に育む土台として欠かせないのが、土。

土は植物を根付かせ、死体を吸収し、また新たな生物の生まれる糧とする。豊かな植物の実りは虫をおびき寄せ、またその活動から生じる有機物を互いに連鎖させる。

ここでの死は、回収可能であり循環可能である。寧ろ死は、次なる生物へのエネルギー源として積極的に受容され、活用される。

死は終わりなのではなくて、森全体からすると一つのトリガーである。蟻が、ハエが、そして土がその有機体を回収し、活用する。

つまり一つ一つの個体要素が、次から次へと生まれ変わっているわけである。

森とは違う機構

そう考えると、いかに人間が自然を排除して作り上げた社会というものが、循環性を欠いた一過性の代物であるかがわかる。

ゴミは焼却処分され、死体も大体は焼却処分。大気に帰るのは事実だが、それは循環ではなくて一方的な物理転化に過ぎない。

比ゆ的にも実質的にも、死を媒介にして循環を促す「土」という概念を、社会の仕組みに何らかの形で取り入れる必要があると思った。

午後の活動

午後は一旦ゾウを川に入水させて、じゃぶじゃぶと背中の汚れを掃除する。ゾウ使いもここでは入念に背中を掃除していて、丁寧な姿勢というか心意気を感じた。

それから昨日と同様に、ゾウをジャングルに返すため、再び昨日の道をのしのしと歩く。

こうやってジャングルの中をゾウと歩いていると、全く自分が別世界にいるのだということを実感する。そこは生き物たちの世界であって、生も死もくまなく受容される。

そこは人間が作り上げた世界とは全く異次元の世界だ。生物たちの楽園、とでも言い換えればいいだろうか、実に様々な種類の昆虫たちが飛び交っている。

象使い免許合宿を終えて

大した運動はしていない(殆ど像に乗ったり観察したりしただけ)のだが、意外に疲れたということに気が付いた。

おそらくジャングルにいるということは、蚊や小生物をはじめとする生き物たちに自分という生命の一部を持っていかれ、「肉体的に」持っていかれるのかもしれない。

「死は土に返され循環する」

というのが今日得られた一番大きな気付きかもしれない。街に戻って、私はゾウ使いの資格証を渡される。

これで私も晴れて国家資格をゲットしたのである。

証明書をよく見ると、名前のイニシャルが2文字間違っていた。

それがラオスの国家資格。

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