ラオス見直す9 地球が生きてるって感じる場所

ルアンパバーンが一望できる丘

博物館の向かいにある山、おそらくはそこから街とメコン川を見渡せるはずだったので、山頂までえっこらよっこら歩いて登った。

山頂は心地よい風が吹いていて、曇ってはいたけれどいい景色だった。大自然という緑の絨毯に、申し訳程度に家屋が立てられていて、謙虚な姿勢を感じた。

あくまで自然という文脈を崩さないように、あるいはその景色を壊さないように、佇む集落はとても美しかった。

それは単体としての美しさではなく、全体としての美しさである。

調和がとれているとはこういうことなのかなと思いながら、逆に都市はどうしてこういった景観を損ねて見苦しい個別最適化に走ってしまうのだろうと考えた。

それは単純に、自然と隔離されて独自の道を歩むという誤った主張をしているからに他ならない。

景色を見ながら

日経企業がこの地にヤタラメッタラ工場を立てようとしないのも、一つはこの完成された風景にそぐわないものをたてる事に対する後ろめたさがあるからなのかもしれない。

そしてこの国の行く末、不可避的な経済発展というものを考えてみる。

いったいどこの場所に、あの物騒で無機質なオブジェクトを建設すればよいのだろう。それは明らかに、全体の調和から逸脱した存在になるに違いない。

私はしばらくその景色を見ながら風に吹かれ、ボーっとする時間の波を往復した。座り疲れてきたら反対側の、メコン川の景色に目をやって、メモを取る。

生きることについて

今回の旅のテーマの一つでもある、生きるということについて考える。生きるという事は、内部の要素を耐え間なく循環させるということである。

そう考えれば、川と風の循環から成り立つ地球もまた、生きていると言える。それは考えてみれば当たり前のことばかりかもしれない。

けどそれを「実感」するために、旅をしてると言っても過言ではない。

地球は回っている。

風は吹いている。

川は流れている。

要素が循環している。

だから地球は生きている。

そしてより近い部分で言えば、森もまた全体として生きている。

森が内包する生物たちを、生死という循環で回している。それを支えるのが土であり、循環をもたらす触媒が水と光である。

この街を全体として眺めてみて、感じたことを詩にして詠んでみる。

森のねに
抱かれし街の
静けさや

そんな風に時間を過ごしていたら小雨がぱらついてきた。

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