「地方創生」という国の音頭に踊らされる田舎の人たち

地方創生という合言葉

「地方創生☆政策アイデアコンテスト2017」という、内閣府が主催しているイベントのセレモニーがあったそうです。

内閣府のHP

全国津々浦々からアイデアを募り、良かった作品を表彰している感じです。

国境離島新法もそうですが、今政府は結構な金額のお金を地方に配分して、「地方創生」を頑張ろうとしています

でも、なぜ地方がそれほど大事なのでしょうか?

それは「国民の生活を守る」と言えば聞こえはいいのでしょうが、結局は社会福祉をはじめとする「延命コスト」を少しでも下げたいという本音もあるのではないでしょうか。

地方に行けば行くほど、稼ぎ頭の若者ではなく、福祉の対象となる「高齢者」の割合が大きくなります。

何とか自分たちで「延命」してもらわないと財政的にまずいですし、特に国境離島付近は「安全保障」の問題もあります。

ま、でも何だかんだ言っても一番は

「地方にお金を配分する大義名分を作って、引き換えに票を確保したい」

というところなんでしょうね。

小学生も高齢者も刈り出される

内閣府の募集に参加した事業を見渡すと、ちょっと都会では考えられないような「地方創生」事業が行われています。

小学生は観光ツアー紛いの事業に刈り出され、高齢者は地元のコミュニティーに半強制参加させられています。

ここでのポイントは、地域の人が「主体的に」やっていると思っていることは、実は「地方を盛り上げたい」という中央からの合言葉が発端となっていることです。

見ていると、何だかそのあたりのことに無頓着な人が多い気がします。

無垢な小学生は、疑うことを知りませんから

「ふるさとのために頑張らなきゃ!」

と容易に洗脳されていきます。一方で、地元の高齢者の中には、毎月毎週行われる「盛り上げイベント」に対して、

「めんどくさい」

と感じている人も多いのではないでしょうか。

日本は国という立場が唯一絶対の中央集権体制ですから、

  • 過疎化する商店街
  • 急激に進む人口減少
  • 急増する社会保障の負担

という厄介ごとを前にして、国主導の対策に躍起になっている感じが強いです。

都会と田舎の濃淡

何だか地方を見ていると、国の論理(1億総活躍≒国家総動員)の働く濃度が、都会に比べて強い気がします。

それは知らず知らずの間に社会に浸透している「空気感」です。極端な例で言えば、

「地元を愛さないヤツは非地元民」

みたいな雰囲気さえ感じられます。でもそれって、集団的圧力がMAXだった戦争の頃(国に協力しないやつは非国民)と同じような感じです。

当時でさえ、多くの人は「国に利用されている」なんて思っていません。素直に『国が大変です』という宣伝を信じて、

「国のために何かをしなくちゃ」

と行動していただけです。

都会の生活では逆に、国の関与は少なく、寧ろ企業側が自発的にせっせと税収の財源を捻出しているシステムになっている気がします。

私の実家がある千葉県の船橋市なんて、あんまり郷土的なことは長い時間をかけて教わらなかった気がします。

「国の号令→地元愛の醸成→息苦しい社会→若者流出」

っていう部分も少なからずあると思います。

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