小説書いてみた-5-やったもん勝ち

(これはふぃくしょんです)

人生の時間は限られている。

私はそれを、実感的に知っている。

3年前の交通事故で、奇跡的に私だけが一命を取りとめた。

友達と両親は、即死だった。

本当に、奇跡としか言いようのないくらいの絶妙な角度で私の頭部は衝突した車両の間に挟まれて、人体にも目立った外傷は残らなかった。

事故後の一週間は、ただただ現実が受け入れられず、呆然としていた。

そして私は考えた。

奇跡的に助かったこの命には、何か意味があるのだろうか?と。

おそらく、それは亡くなった両親や友達の分も含めて、あるはずだ。そうじゃないと、不慮の事故で亡くなった最愛の人たちが浮かばれない。

本来なら、死んだ命だ。

そう考えると、今までの人生とは打って変わって、大胆な決断が出来るようになった。

お金を貯めることには一銭の価値も感じないようになったし、下らない社交パーティーに出席するのも時間の無駄だ。

そうしたことに時間を費やしている人は、おそらく、明日自分が突然死ぬことを、全く想定していないのだろうな、と思う。

勿論、今までの私がそうだったから、他人を批難することなど出来ない。

ただ、私は事故のおかげで、自分の人生に対する覚悟が出来た。

ある意味で私は、事故で吹っ切れたのだ。

どれだけ無茶な計画に思えても、思ったことは言うことにしたし、やりたいことは全てやることにした。

だって、明日死ぬかもしれないんだから。

そんな形で私が数々のことを手がけてきたのだが、最近立ち上げたレジャー施設では、多くの人たちが不平不満を言うようになった。

賃金が安い・労働時間が長い・手当てが少ない、などなど。

彼らの不満を聞いている暇なんて、私にはないのだが、それでも多くの人たちが私に不満をぶつけてくる。

私に文句を言う暇があったら、自分の好きな事をすればいいのに、と私は思うのだけど、中々そうもいかない。

私はとにかく、何かしらの「場所」を作った。それを受け入れるかどうかは、私ではなくて彼ら自身の問題だ。

嫌なら辞めればいいし、施設が潰れるなら潰れればいい。

そういう風に物事を割り切って考えていると、人生は割と楽なのに、そうじゃなく考える人が多いと思う。

私はある意味で、私と同じ体験を、そういう人たちにして欲しいと思う。

影があるから光が際立つのと同じで、死の存在を身近に受け入れることによって、生のありがたみが分かる気がする。

そういうことを、感覚的に感じれるようなレジャー施設を作ったなのに、中々それが伝わない。

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