シャッター通りと閑古鳥
私が移住してきた五島列島の福江島には、港の近くに商店街がありますが、いわゆるシャッター商店街となっています。
その理由を島の人に尋ねると、
郊外に大きなスーパーが出来たからねえ。。。
という回答を頂くことが多いです。
安くて品揃えの良い大型スーパーの出現により、商店街に足を運んでいたお客さんが逃げていった、という見方です。
それは半分正解な気もしますが、答えとしては不十分な気もします。大型店ができたこと以上に、人口減少が大きな理由となっています。
昭和30年代は現在の3倍ほども人口がいたそうですが、現在となっては完全に「持て余して」いる状態です。
実際、商店街のお店を覗いてみると、100円ショップとスーパー以外は閑散としています。そのお客さんも、8割以上は高齢者です。
商店街の活性化?
それでもって、商店街の過疎化やシャッター化が、地方の政治トピックとして取り上げられることが多いです。
例として、五島市の議員さんの発言をご紹介します。
中心商店街というのは、市の顔であり、ほかの市に負けない自分たちの地域の個性を生かしたまちづくりの中心的なものじゃないかというふうに思っております。
そのほか、住民の声を聞いてみても、
観光客が最初に訪れるのが、市の中心部の商店街。そこが閑散としていたら、寂しい気がする。
という声も聞きます。
そこで本日は、商店街の機能について考えてみます。
商店街は街の中心?
冷静に考えれば、現在の商店街は、街の中心部ではありません。ですので、商店街を
街の個性を代表するような場所
とする考え自体が古い気がします。その前提で「商店街を活性化しよう!」と言うのは、まるで
軍艦島に活気がないから、活性化しよう!
と言うのと、原理的に同じことではないでしょうか?
もう昭和の時代ほど大勢の人はいないし、『三丁目の夕日』のようなノスタルジーを再現することは不可能です。
商店街は『マーケット』
そもそもの商店街は『マーケット』でして、自然に生まれるものです。マーケットの特徴としては、
- 魅力的な商品・サービスが手に入る
- 利便性が他と比べても高い
であり、行政が整備して集客をするような場所ではありません。現在の商店街が閑散としているのは、
- 魅力的な商品やサービスが少なく
- 利便性が他と比べても低い
からです。そのため、オーナーの大半が高齢化し、アクセスも悪い現在の商店街に『マーケット』機能を期待するのは、時代錯誤です。
さらに、島の中で大きな商業施設となっている場所でさえ、オンライン空間での『マーケット』が拡大しているため、役割が薄れつつあります。
シャッター化の問題は?
私は商店街のお店が全てなくなっても、生活上困ることはありません。しかし交通弱者は、少し困ってしまうかもしれません。
それは現在の商店街が、物理的な移動手段や、オンライン注文が出来ない、「交通弱者向けのマーケット」として機能しているからです。多くの人は困りませんが、現状では
- 足の不自由な高齢者:シャッター商店街で買物
- 車が使える非高齢者:郊外のスーパーで買物
という、「棲み分け」が出来ています。
もしもこの先、商店街の店舗が消滅しても、別の宅配サービスとかで代替可能です。
商店街の機能
以上、商店街の『マーケット』機能が時代の変化と共に薄れていったことを紹介しました。
それでは商店街の機能は、どう変わっていくべきなのでしょうか?
ここで、先程の市議の発言をご紹介します。
(中略)ただ単に、行政のほうが、そういうことがあったら自分たちも行って加わるよじゃなくて、五島市が五島市の商店街をどのような形にしたいかという、そういうビジョンというのが必要じゃないかというふうに思うんですが(後略)
と、言うことで、商店街の役割自体を、行政側に求める発言がなされています。
よくあるケースとしては、
- 地元の人向けのコミュニティ、イベントのスペース
- 観光客が気軽に楽しめる交流スペース
などが挙げられます。でもこれって、別に商店街である必要はないですよね。
「商店街」から離れよう
上記の点をまとめると、
- 現在の商店街は街の中心ではない
- 商店街のマーケット機能は低く、今後も低くなる
- 商店街が消滅しても、死ぬほど困る人はない
- 行政は街づくり計画に商店街を活用していない
個人的な意見としては、昭和のノスタルジーに引っ張られて、「商店街」だけを優遇する必要性はないと感じます。
昔は昔。今は今です。
「街づくり計画」と、「商店街」の活用は別の問題です。そこを誤って、「商店街」ありきで計画を考えると、ハコモノが出来たり、変なプロジェクトに予算が組まれたりして、無駄な税金の投入に終わってしまうでしょう。
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