地方移住の「ミスマッチ」が増える時代

人口減少対策

人口減少に喘ぐ五島市では、その対策に力を入れています。

五島市の移住者数の推移と移住支援のご紹介

実は五島列島では、江戸時代の末期にも、似たような「移住促進」政策が取られているのをご存知でしょうか?

詳細はこちらですが、抜粋です。

五島藩(福江領)では享保年間(1716~1735年)以降、たびたび暴風や干ばつ、害虫被害による飢饉、疫病などで農民は減り、村が全滅するところさえあったといわれています。

当時、五島藩としてはできるだけ農民数を増やして、農産物を増産し税収をあげることが何よりも優先すべきことであったと考えられています。

現在と同様に、深刻な人手不足な状況だったわけです。更に、

一方大村藩では厳しい人口抑制策がとられており、同時に潜伏キリシタンの追放も課題でした。

この両藩の利害が一致し、「千人貰い」という大村藩の農民を1000人五島藩へ農業活性化のために移住させる約束が1796年に結ばれます

だそうです。現代で言えば、新しい在留資格を作って移民を受け入れるようなものです。

この後に起きたこと

大村領からの移住は続き、五島藩から1000人の申し込みに対して、最終的に3000人もが移住したともいわれています。

大村領外海地区の多くの潜伏キリシタンたちは次第に厳しくなった監視を避け、五島を目指しました。当初

「五島へ五島へと皆行きたがる 五島はやさしや土地までも」

と謡われましたが、移住した先はほとんどが山間僻地のやせ地や、漁業にも不便な海辺でした。

その移住先での過酷な生活により、

「五島へ五島へと皆行きたがる 五島極楽来てみて地獄」

と俗謡が変化していくのでした。

要するに、

  1. 想定以上に沢山の人が来たおかげで
  2. 移住した人たちの生活は苦しくなってしまった

ということです。これって何だか、現代の日本に対する示唆のように思えます。

田舎暮らしの移住コスト

五島に移住してきたはいいものの、様々な理由で五島を去っていく人がいるのも事実です。江戸時代の末期のように、

こんなはずでは・・・

という形で挫折をしてしまう人もいます。しかし安倍っち政権としては、ますます多くの人間を地方に回帰させようという方針です。

そうした中で、「移住者のミスマッチ」は更にこれから多くなっていくでしょう。

私はミスマッチそれ自体が問題ではなく、ミスマッチをした時に再挑戦するコストが高いことが問題だと思います。

引っ越しの費用だとか、物件探しだとか、仕事探しだとか。

そういった移住コストの高さを解消することが、全体として最適な生活環境を構築できる可能性が高い気がします。

そのための施設として、「短期滞在型の生活環境」が生まれてくるでしょう。

既にあるシェアリングエコノミーのサービスとして、車や家のシェアがありますが、それらを一体的に提供する事業者が現れそうです。

  • 1月~3月:A島で活動
  • 4月~8月:B島で活動
  • 9月~12月:C島で活動

というような形で、活動の拠点を動かしながら生活をすることが、より一般的なスタイルになってくるでしょう。

Uターン。Iターン。そしてXターンの時代。

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