幸せは自分の心が決める

幸せについて本気出して考えてみた

前回は

五島でみんなが幸せに暮らすには?

という記事を書きました。

ただ、フォーラムの内容的には、

「神山町はいかにして成功しているか?」

という感じでした。もちろん沢山勉強になりました。

そこで本日は、五島でみんなが幸せに暮らすには?

を緩く考えてみたいと思います。

便利さと幸福度は関係ない

島では色々な面が不便です。

  • バスの本数が少ない
  • 飛行機の欠航が多い
  • 交通に掛かるコストが高い
  • 医療体制が本土と比べると見劣りする

などなど。全国の過疎地でも、同じような状況かと思います。

でも、これが例えば「本土」と同じ水準になった場合、島民の「幸せ度数」は比例して上がるのでしょうか?

私の答えは懐疑的です。

なぜなら、必ずしも全員が、「利便性」を求めている訳ではないからです。

そりゃあ便利な方が助かることも多いですが、別に今のままでも十分満足して暮らしていける、という方もいます。

ですので、

便利・快適になれば、みんなハッピーになるでしょ?

というのは、非常に短絡的で、危険な発想かと思います。

不便だけど幸せが最強

そもそも、価値観が多様化している現代ですので、

「あなたを幸せにしてあげる」とか

「どうすれば皆が幸せになるか?」

という感じで、他人に

「自分なりの幸せの水準」

を押し付けるもの違う気がします。

言うまでもなく、人は様々な「価値基準」を持っているからです。

  • 最低限度のお金がないと幸せになれない
  • 衣食住さえ満たされていれば、満足
  • 様式便所じゃないと不快感を感じる
  • 最先端の医療を受けられないと、不安で一杯

などなど。

私がインドに行ったときに印象的だったのは、インドのケンタッキーを美味しそうに食べる同僚が

あいつは「満足の水準」が低くて良いなー

と言われていたことです。幸せも結局、同じことだと思います。

自分の満足の水準をコストのかかる部分に置いてしまうと、到底田舎暮らしは出来ません。例えば

  • 全自動で開閉するピカピカのトイレ
  • コンビニと同じくらい手軽な医療サービス
  • ワンクリックで即日に届く宅配サービス

などです。

そもそも100年前は、こういったものがなくても人は生活していました。

外部要因と比べない

「幸せは人と比べるものではない」と言いますが、生活水準については、都会が一方的にドンドン水準を上げていきます。

そのため、田舎が都会水準に追いつこうとすること自体、不毛な競争です。

いつまで経っても「満足感」が得られないまま、

滑車を回し続けなければいけないからです。

そのため、心の在り方として、

他との比較ではなく、自己満足的な幸福感を得られるような考え方や訓練

が必要とされているのではないでしょうか。

この問いについては、

既存の宗教が一定の答えを提示しているように感じます。

もし私が市長だったら

私は今のところ、「快適さ」を重視するような路線で物事を考えています。例えば五島では、

  • 最先端の医療体制や人・設備を誘致する
  • 不便さを解消する交通網の整備する

など。しかしもしかすると、そんなに手間暇をかけずとも、

不便さを受け入れながら、島民が笑える機会を最大化しよう!

っていう路線の方が、費用対効果としての「島民の幸福度」は、高まるのかもしれません。

その意味では、島根県の海士町は、

ないものはない!

http://www.town.ama.shimane.jp/topics/3000-1/post-72.html

と言い切ってしまっている辺り、島の経営哲学として成功していると感じます。

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